伊豆伊東情報館
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戦国武将 -は-
馬場 信春(信房)
ばば のぶはる(のぶふさ) (1514-1575) 民部少輔・美濃守
武田二十四将の一人・武田四名臣の一人
武田家三代に仕えた重臣
戦歴40数年、参加した合戦は数えきれないが傷を負う事は一度もなかったという。
真木島(牧島)城の守将として越中・飛騨方面の備えとして任じられるが、
信春は精鋭50騎を伴い常に
信玄
の側にいたという。
信玄が今川氏真を攻め、居城・駿府城に放火した際、
多くの財宝が焼失するのを惜しんだ信玄が財宝を運び出すよう命じたが、
信春は
「合戦の中、敵の財宝を奪うなど、貪欲な武将と後世の笑い者になる」
と反対
運び出した財宝を再び火中に投げ込ませたという逸話が残る。
「長篠の合戦」
では馬防柵への正面攻撃は不利と
勝頼
を諭すが失敗。
結果、織田・徳川軍の集中砲火により武田騎馬隊は壊滅的な打撃を受ける。
信春は敗走する武田軍の殿を務め勝頼が撤退したのを見届けると、
単騎、敵陣に突撃し壮絶な討死を遂げている。
原 虎胤
はら とらたね (1497-1564) 美濃守
武田二十四将の一人
下総、千葉氏の一族。
虎胤の祖父胤房の没後、守護代との抗争に敗れ父、能登守友胤と共に
信虎
を頼る。
晴信(信玄)
が自立した頃には既に武田家の老臣としての地位を築いていた。
合戦に臨む事38回、全身の向こう傷は53ヶ所、武田家中では
「鬼美濃」
と称され
奪い取った城の補修を必要とせず、すぐ利用できるような城攻めを得意とした。
一時、宗教上の理由で武田家を去り北条家に仕えるが、後に帰還を許される。
1564年、68歳でこの世を去る。
原 昌胤
はら まさたね (1514-1575) 隼人佑
武田二十四将の一人
父、加賀守昌俊と二代にわたって合戦で布陣する場所を選定する陣馬奉行の要職に就く。
信玄
をはじめ武田諸将は
「陣取りの事は昌胤に任せよ」
と信頼も厚かった。
本来、直接戦闘に参加する役目では無かったのだが
「長篠の合戦」
では昌胤も120騎を率いて敵中に突撃。鉄砲隊の銃弾を浴び討死。
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